大会の歩みDEVELOPMENT

春のセンバツ
夏の選手権
1915
夏の第1回大会がスタート1
1916
敗者復活戦を採用
外国籍選手(アメリカ人)が初めて出場
2
1918
敗者復活戦を廃止
米騒動により史上初の大会中止
4
1924
春の第1回大会がスタート1
1925
スコアボードのセンターポールに国旗と大会旗を掲揚11
1926
東西対抗形式を採用。
初戦で同一地域の対戦を避けるように
3
1927
監督・コーチがベンチ入り。直接指揮を執れるように13
1928
ベンチ入り選手を14人と規定14
1929
甲子園球場にアルプススタンドが新設6
1931
初めて背番号を導入。夏以降はまた採用されず8
1933
前年度優勝校の無条件出場を廃止10
1941
戦前最期の甲子園大会18
関特演動員輸送のため中止27
1946
1941年春以来、5年ぶりの甲子園大会が開催28
1949
甲子園球場にラッキーゾーンが常設31
1952
1931年春以来、21年ぶりに背番号を導入34
1958
延長引き分け再試合規定を制定。延長は18回までに40
1960
打者のヘルメット着用が義務化32
1965
走者のヘルメット着用が義務化37
1972
打者の片耳ヘルメット着用が義務化44
1974
木製バットを本格的に使用した最後の大会46
金属バットを正式採用56
1978
現在の夏49代表校制を初めて導入
ベンチ入り選手が14人から15人に変更
60
1984
甲子園球場のパネル式スコアボードが撤廃。電光掲示板に56
1991
甲子園球場のラッキーゾーンが設けられた最後の大会73
1994
ベンチ入り選手が15人から16人に変更66
1995
打者の両耳ヘルメット着用が義務化67
1996
史上初めて女子マネージャーが記録員としてベンチ入り78
1997
守備・攻撃のタイム回数を制限。
9回までに各3回、延長1イニングに各1回まで可能に
69
1999
2回表・ウラの校歌の場内放送が開始71
2000
延長が18回から15回に短縮72
2001
初めて「21世紀枠」を採用
ボーク、守備妨害、打撃妨害などの判定がスコアボードに
73
2002
重量を制限した新基準バットを導入74
2003
初めて「明治神宮枠」を採用75
ベンチ入り選手が16人から18人に変更
女性が初めて決勝戦でベンチ入り(記録員)
85
2004
準々決勝4試合が2日に分かれる日程に変更76
2007
ダートサークルのラインを採用
従来の高反発球を廃止。「飛ばないボール」に
79
組み合わせ抽選方式が東西対抗から全地区フリーに89
2009
ベースコーチのヘルメット着用が義務化81
2013
準々決勝が再び1日4試合に。
準々決勝と準決勝の間に休養日が設置
95
2018
タイブレーク方式を導入。
決勝以外の延長13回から
90
2019
準決勝と決勝の間に休養日が設置101
2020
新型コロナウイルス流行のため中止92
新型コロナウイルス流行のため中止102
2021
決勝でもタイブレーク方式を導入。
延長13回から
93
2022
継続試合を導入。
降雨などの中断は翌日以降中断時点から再開
94
女子部員の練習補助、ボールパーソン担当などが可能に104
2023
タイブレークの開始イニングが変更。
延長13回から延長10回からに
95
ベンチ入り選手が18人から20人に変更
クーリングタイムを導入。
熱中症対策のため、5回終了時に10分間休憩
105
2024
反発の少ない新基準バットが採用96
午前と夕方に分けて試合を行う「2部制」を導入。
暑さ対策の一環として
106
2026
指名打者(DH)制が採用98

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